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アンコウ塾セミナーに行った

ライフスタイルセンターとしての札幌~北海道に楽しい街を再生しよう,新しい街づくりの手法を語る
講師:浜野総合研究所 浜野安宏

というセミナーに出てみた。
 講師である浜野氏は,1960年代にファッション業界での事業を展開,70年代にかけてサイケデリックディスコをプロデュースして話題となった。同時に商業地域や地域の総合開発に進出し,バリ島ヌサドゥア地区の開発では現在の同地域の形成につながる大きな役割を果たした。現在までに多数の商業地域・施設・空間のプロデュースを手掛けると同時に,アウトドアライフにおいても日本の先導的な活動を体現し,フライフィッシングでは草分け的存在でもある。札幌では,大通り地区にある池内の再開発・プロデュースを担当したという。
 今回のセミナーは,氏が手掛けてきた地域開発プロジェクトの背後にある主張,およびその源泉となっている思想について言及し,北海道という環境のなかで新しい街を創造するためのコンセプトを示唆するものであった。ただし,そのメッセージは,都市工学建築工学系研究者や,マスコミ受けするようなデザイナー視点からのものではなく,かなり私的であり,かつユニークなものであった。
 講演は,ディープ・エコロジーの話から始まった。本来,ディープ・エコロジーとは,1972年にノルウェーの哲学者アルネ・ネスによって提唱された考え方である。近年広く認識されているエコロジー思想,たとえばリサイクル運動・節電・地球温暖化対策への協力などの環境保全活動は,現代の高度化された豊かな暮らし(大量生産,大量消費)と継続的な経済成長をはかりつつ,同時に自然環境の保全を両立することが可能であるという暗黙の前提の上に立っている。人間を中心にして自然環境との共生を目指すものとも言える。
 これに対してディープ・エコロジーでは,すべての生命存在は人間と同等の価値を持っており,人間の利益のためではなく,生命の固有価値が存在すると考えるゆえに,環境の保護を支持するものとなっている。ここで,生命の固有価値の存在を認識する方法として,原生自然体験や直感によることがあると言われている。講演では,難しい科学哲学・倫理論ではなく,様々な場所・時に見たり体験できた自然の諸相への直感的な感動に,氏の原初的な価値観・思想が立脚していることが,平易に示された。フライフィッシングの草分けでもある同氏にあって,この話に違和感は無い。しかし,この思想がどうやって東京の繁華街の商業施設プロデュースと結び付くか,いくつかの事業例を通じてうっすらとではあるが感じ取ることができた。おそらくは,直感的・原初的な感動体験を基盤にして,以降はテクノロジーであったりデザインであったり,などの手段によって幾多のプロジェクトが形作られたのであろう。
 講演の中では,北海道という地域がもつ魅力についても語られた。魅力として指摘された内容は特別なものではないが,日常の諸相の多くに直感的な感動をもって,それを生活の中で体現することが,同氏による新しい街や空間プロデュースの根底であることが感じられた。たとえば,雪が降るからアーケードをつくる,地下道をつくる,といったシナリオからはなれ,雪の中で行動する空間・サービスを提供し,雪のある環境のなかにある感動を共有するなどのアイデアが提示された。

郡部では人口減少,高齢化,産業活力低下,ひいては限界集落化が進行しつつある現在において,社会は依然として有効な解決コンセプト・手段を見つけられないでいるところが多い。この解決には,事業やイベントであるといった外的な手段ではなく,内的な変革を通じた社会様式・生活様式の移行などに目を向けるべき時期に来ている様に感じている。たとえば,限界集落の解消には,その地域に多くの若者が入り込むことが不可欠である。ならば,大学を地域に移せばよいだろう。欧米では,このような大学によって成立している田舎の小さな街が良くある。それも優秀な成果を多数あげている大学である。これが成立するためには,大学の魅力もさることながら,田舎の街の社会と暮らしに関して大きな価値を感じるという内的な価値構造が広く共有されていることが必要となるであろう。


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選択に直面する社会基盤整備

 私事だが4月から3か月間、インドネシアに出張していた。その間にも何か書こうと思っていたが、手も頭も回らず、やっと最近落ち着いてきたので、再開である。

  我が国社会は、少子高齢化および人口減少が進みつつあり、戦後から長く続いてきた拡大・成長する社会から、成熟し緩やかに縮小しつつ一定水準に収束する社会への転換点を超えたと言えるだろう。同時にその外部環境では、東南アジア諸国の経済・産業競争力が躍進し、相対的に我が国のパフォーマンスが沈下しつつある。また近年の資源高騰と新興資源国の躍進、リーマンショックで加速した経済低迷とデフレ化の継続により、我が国の経済・産業は縮退を余儀なくされている。こうした社会・経済における縮退は、国家財政・税収の減少と各種社会保養負担の増大を深刻化させている。当然のこと、公共投資余力は減退し、社会基盤整備分野への公共投資をめぐっては、多くの議論・論争が巻き起こっている。特に昨年政権政党となった民主党下の政策では、『コンクリートから人へ』と称して、社会基盤整備分野への公共投資を大きな縮減ターゲットに取り上げ、格差是正や社会保障分野などの他政策への財源確保を図ろうとしている。
  公共投資がいかにあるべきかについては、現在のような困難な社会・経済状況下でなくとも論じられて当然の課題ではあるが、今我々が直面しているそれは、間違うといつまでも抜け出せないトンネルに落ち込む危険性を伴った際どい性格・状況のものであるように思う。わが国のこれまでの社会基盤づくりを振り返った考察を、『国土総合開発に思う;Posted on Thursday, Feb 04, 2010』に少しだが書いてみた。要は、その時代時代において社会が求めているであろうことを希求して社会基盤整備は実施され、先進国として世界に認められるだけの水準を勝ち得たと同時に、すべてが奏功したわけではなく、狭い国土の中に依然として多くの歪みや弱点も内包していることを忘れるべきではない。そして、これまでと大きく違うところがひとつ、これまでは社会・経済は拡大・上昇を志向したベクトルのもとで成長してきたのに対し、現在は縮退・下降トレンドにあり、どうやってこれを上昇に転じていくか、という大きな課題をかかえている点である。東アジア地域における海上物流・航空網における地位低下、資源戦争下での必要資源の確保、国内産業の空洞化、雇用状況の悪化、などに対する経済・産業支援基盤・環境の整備が危急の課題であると同時に、地球環境対策、気候変動や大規模地震などの災害に対する安全性の確保、疲弊する地方・農山漁村地域の振興、高齢化社会への対応など、問題は山積している。経済・産業の体力・国際競争力の維持・向上には、大都市圏・大工業地域などへの投資が急務であるのに対し、国土の均衡ある発展・福祉の向上には、とくに環境整備が遅れる地方・農山漁村への投資が対象になる。限られた投資余力、それもより削減しようとする政策のもとで、課題解決をはかるのは容易ではない。コンクリートだの人だの一聴わかりやすいが、背後に広がる大きな課題構造をないがしろにしかねないスローガンには、注意が必要である。
  投資余力が限られるとなると、さあ、どちらに重きを置かなくてはならないか、難しい選択を迫られることになる。
  • 将来を志向した戦略的投資か、現在の目前の課題解決・維持のための投資か?
  • 投資規模を維持して経済成長を支えるのか、投資を縮小して国民負担の低減をはかるのか?
  • 大都市圏域・経済中心地・工業先進地帯の活力強化・成長重視か、縮退する地方・農山漁村山への投資か?
  • 経済成長か、格差是正か?
  • 経済・産業振興か、環境重視か?
  • 一般税か、利用者負担か?
  『コンクリートから人へ』どうするのか、総論としての選択に加え、各論としていったいどのような政策・施策が展開されうるのかを提示し、国民の選択に委ねるのか、あるいは取るべき方向性を明示し、重要度・順序を示して理解を求めるのか、きちんとした議論、あるいは論拠を提示し、政策を進めることが必要であると考える。先に転換点を超え、一定水準へと緩やかに縮小・収束する方向へ向かうと述べたが、非常に厳しく、かつ予測の難しい外部環境のもとでは、政策を誤ると一様減少へと突き進んでしまうリスクだって否定できないのであるから。
 
 1記事A4で1ページ程度を目安にしているので、続きは後日。なお、土木学会論説2010.3月版『社会資本を巡る議論、森地 茂 氏』の記事は大変勉強になった。

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インフラ整備のプロセスに思うこと

 今日、我が国の基本的な社会基盤(道路、鉄道、港湾、空港、上・下水道、電気、治水・治山、廃棄物処理、漁港などなど)の整備水準は、充足状態に近づきつつあると言ってよいだろう。このうち、国民生活・経済活動を支えるために絶対に必要な基盤であるインフラ(道路、鉄道、上下水道、防災分野など)について、中村英夫氏(武蔵工業大学学長)は、これらを必需型のインフラと呼んでいる(土木学会誌2009-2月号)。戦後からしばらくの間、我が国のインフラ整備は、この必需型インフラの充足が大きな命題であった。そこでは、拡大・成長しつづける社会的需要を背景に、必需型インフラの必要性は自明であるところを起点にして、インフラ整備の社会的プロセスが構築されてきた。中村氏の言を借りることになるが、インフラ整備に関する判断は、どの事業を先に進めるかという優先度の問題となる傾向があったこと、その決定において科学的合理性だけでなく政治性にも左右されてきたという側面を持っていた。
 こうした環境のもと、公共の整備事業を推進する現場にあっては、事業者である公が発注者となり、発注者が計画、仕様・性能の決定、設計等のプロセスをほぼ全て遂行し、建設業者は決められた仕様通りに淡々と工事を行うという形態が一般化してきた(草柳俊二、土木学会誌2009-2月号)。発注者である公的機関は、建設コンサルタントに対して計画関連調査や構造設計、施工検討、建設計画などを外部委託はするものの、事業そのものに対しては、民間会社が積極的に関与して相互補完・協力のうえで事業を執行するというのではなく、受注者が指定されたとおりに業務を遂行しているかを管理するという色合いが濃い。公・民ともに、需要に追随して充足度向上を目指す環境下では、このような形態が効率的でもあったと思われる。
 しかしこのような遂行形態のもと、建設関連プロジェクトの契約形態として請負契約が標準となり、発注者に対する受注者の権利が制限されてしまう、いわゆる片務性の問題が顕在化している。もっと大きな問題として、個々の事業の必要性、目的、内容など、事業の動機・意志に関する情報が国民の評価にさらされないまま、事業遂行に関する意志決定がおこなわれがちになり、ともすると、“公共機関は建設業界と癒着して公的資金を建設事業に不当に注入している”というような公共事業に対するプロパガンダにも晒されることになる。
 アンチ公共事業キャンペーンの話はさておき、インフラ整備全体を眺めると、中村氏が指摘するように、必需型インフラの充足度向上とともにその事業比率が低下してくるのと並行して、地域開発を目的とする戦略型インフラおよび、効率化・高速化・環境向上などを目的とする効率化型インフラの整備事業比率が増大してきた。そして近年ではこれに加えて、老朽化や機能としての寿命を迎えたストックの維持・更新を行う更新型事業の増大が不可避となっている。このほかには、既存の機能をさらに高質化しようとする高質化事業の比率増大も予想されている。
 こうした分野のインフラ整備においては、“事業の動機・目的・内容の妥当性について、情報公開・合意形成を経てはじめて事業が遂行される”、というプロセスを拡充・強化しようとする傾向が進展しつつあると言ってよいだろう。その象徴的イベントが昨年の事業仕分けであったろうか。しかしその場では、社会や市民の生存に関わるリスク低減や、社会・生活基盤を維持するという自明の目的・必要性を持った事業分野についても疑念の目が向けられているようで、残念であった(時間不足・説明不足にも問題はあったが)。また依然として、事業に対して監視する機能を公的機関から国民に移そうとしているにとどまっており、インフラ整備のためのプロセスとして適切であるかどうかについて疑問を感じる。
 これからのインフラ整備において、必需型以外の内容の比重が増大する以上、今後国民は監視者ではなく主体者に近い立ち位置で、より積極的に関与しなくてはならなくなるはずである。インフラの整備が、従来どおり官が全部考えて、地域への便益を評価して、シナリオをつくって、事業予算を獲得して、事業を執行してくれるという構図ではなくなるのであるから。コンサルタントは、このプロセスを、市民や発注者と協働して互いの機能を相互補完・連携させ、事業が円滑に、かつ社会的に公正であるとともに公益を最大に実現するように遂行する、という役割を担うべきである。あるいは、そうできるように、資質を向上させることが求められることになろう。同様に、建設事業段階においても、一括請負方式ではなく、発注者・受注者が相互の機能を補完し合いながら事業・プロジェクトを遂行する形態への移行をはかることが、重要な課題となるのではないか。このようなプロジェクトの執行形態は、国際的なプロジェクトあるいは欧米では標準的なものである。また我が国においても、ODAなどで実施している国際事業は、これに近い方式で実施されている。わが国において全く未経験のプロセスではないのである。

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国土総合開発に思う

 昨年末は、政権交代に始まり,補正予算の見直し,事業仕分けを経て,社会基盤整備事業がこの先大きく縮退するであろう社会情勢のなかで,はて,どうやって生きていこうか,などなど思いめぐらす日が続いた。
これまでの国土総合開発について振り返ると,数次の全国総合開発計画の展開を通じて,我が国の社会基盤の量・質は欧米先進国に肩を並べつつあるところまで向上した。太平洋ベルト地帯や産業港湾,空港,高速道路,エネルギー・産業拠点などの整備は,我が国経済・産業発展の心臓・けん引役となった。また,国土の均衡ある発展をめざした社会基盤整備の全国展開により,電気・ガス・水道・下水や道路が全国に行き渡り,国民生活環境は大幅に向上した。この間に,数度の好況,不景気・経済ショックなどを経験するも,安全で快適な社会が構築されて,今日に至っている。
 しかしそれでも,人口の大都市・経済拠点集中はとどまらず,農山漁村は依然として人口減少と過疎,経済衰退に瀕している。特に,小規模の集落における高齢化率の増大がおさまらず,ついには,集落は消滅の危機に瀕するまでになってきた。その背景には,商工業が発展を続ける中,農林漁業はほぼ一貫して縮退傾向にあり,1次産業分野を基盤とする地方にとって,いか様にもこれを解消することができなかったこと,都市部の産業・生活レベルの向上と相まって若年人口が次々と流出していったことなどがある。地理的に不利で,1次産業主体の地方にあっては,魅力的な地域と安定した雇用や生活サービスをそろえようとしても,都市部の躍進に追いつくことはできなかった。
 こうした農山漁村の縮退は,単に社会的な荒廃をもたらすだけでなく,日本人の感性の原点といわれる里山・里海の豊かな環境と歴史・伝統文化,および水源の山を発して河川の流域を通じ,河口から沿岸域をつなぐ広域の環境システムの荒廃をもたらし,国土と沿岸・海洋環境までもを荒廃させてしまう問題のあることがわかってきた。そこで求められているのは,労働人口がその地域に定着できる雇用があり,その場所で満足のできる生活を送ることができる種々の環境(自然,社会,経済,サービス)や,それを支える基盤があることだろう。
  縮退を続ける1次産業それぞれに,問題・課題があり,それを直接解決することも重要であるが,これまでできなかったことが容易に可能となるはずはない。となれば,あらたな(有望な)活動分野を政策的に導入し,地域の再生に取り組むことが望まれる。その1つの解として,環境事業分野を活用しようという提案が注目される様になっている。1次産業拠点であることの価値と社会的な役割を,地球環境面でも評価するとともに,積極的にその機能を拡充することで,都市部で達成不可能な環境機能と収支のバランスを補填しあう社会の構造が期待されはじめた。このように,社会的な要請においても,地球環境対策をめぐる活動や産業・地域経済振興が注目されていくものと予想される。と考えるのだが,はて,どうなるのだろう。

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事業仕分けイベントが終わって

 事業仕分けイベントが見せたものは,“その事業分野の専門家ではないが,事業を執行して国全体の発展や福祉の向上に取り組もうという意識のある市民の目線において,審査を受け,理解を得られるものとなっていなければ,いかに重要な事業であっても,予算配分させませんよ“という政策メッセージに,結果としてはなってしまったのではないだろうか。こう書いたのは,これが,政府が意図したことであったとは限らないと思われるからである。
 そしてこの潮流は,事業を計画する側への要求だけでなく,市民レベルにおいても,社会基盤整備などの政府・地方自治体の事業に対する積極的な関与を求めるという点で,市民にも要求を突きつけるものである。すなわち,政府予算枠のなかにおける公共事業・社会資本整備の割合が大きく減少している中で,地域の社会基盤整備をしっかり進めるためには,地域住民や地域の経済・産業界が,自分たちの将来像をしっかり見据えて,行政と政治に働き掛ける,というプロセスがより明示的になることを示唆するものである。社会基盤は整備してもらうのではなく,整備してほしいものや機能などを積極的に要請し,またそれが社会の総意であったり,社会の発展に大きく役立つことを,受益者サイドがきちんと説明することが重要になるだろう。
 社会資本整備の場においては,10年程前からアカウンタビリティの重要性が議論,注目されてきた。それももちろん重要であるが,住民はどちらかというと受身の構図であった。そこでは,行政・事業者が住民や関係者に,事業の趣旨・目的,内容,方法などをよく説明し,また意見をフィードバックして,相互理解の上に適正で合理的な事業を進めるといった構造であったと思う。
 しかし,本項前段で述べた潮流がより鮮明になると,事業を実施する地域の市民が,政府だけでなく,他の地域・市民に対して ,これこれの予算を投入して事業を行う必要性を明示するという視点でのアカウンタビリティにも意識する必要が出てくるのかもしれない。この一連の作業には,複数のレベルで多くのプレーヤーが関係し,説明・調整・合意形成を繰り返すことになり,ゴールへの道は結構長いものになりそうである。これらのプロセスをわかりやすく,システマチックに,手順よく,取り行うことが必要になるであろう。このようなコーディネートこそ,コンサルタントに求められる業務の一つとなるであろう。

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